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東京高等裁判所 昭和62年(う)1167号 判決 1987年12月16日

本籍

東京都世田谷区世田谷一丁目三一一番地

住所

同都文京区大塚六-二-五

ライオンズマンション新大塚四〇四

団体職員

横溝玄象こと横溝富男

昭和八年三月一二日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、昭和六二年八月五日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官平田定男出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人上林博名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官杉原弘泰名義の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討すると、本件は、被相続人清野喜由(以下被相続人という)の死亡により多額の財産を相続した原審共同被告人清野芳明(以下清野という)から右相続にかかる相続税の納付を極力免れることについて依頼を受けた被告人が、右清野と共謀のうえ、同人の正規の相続税額が二億三四七二万九六〇〇円であるのに、被相続人には三億五〇〇〇万円の連帯保証債務があり、このうち三億四〇〇〇万円を右清野において負担すべきことになったので、同人の相続税額は九六五四万八二〇〇円となる旨の虚偽の相続税申告書を提出して納期限を徒過させ、相続税一億三八一八万一四〇〇円を免れたという事案であるところ、原判決が量刑の事情について説示するところは、おおむね正当としてこれを是認することができる。

これに対し、所論は、原判決の犯情についての説示につき以下のとおり種々の点を挙げて論難する。

すなわち、1年々大型化する脱税事犯の中にあって、本件はさほど悪質なものとは言えない。原判決は本件ほ脱率を過大評価し、不当に重視している。2本件犯行の手口は、初歩的・単純であり、また本件犯行の手段や関係書類を整えることは被告人が考案したことではなく、また今回使用した関係書類は名義人の了解の下にその印鑑を使用して作成したものであって偽造したものではない。原判決が、被告人が「脱税手段を考案した」とし、本件犯行の手口が「大胆かつ巧妙なもの」と判示する点はいずれも納得できないし、本件が同和団体の勢威を背景に申告したとして犯行の悪質性の事情としたのも皮相な見方である。被告人は、3本件犯行を主導的に実行したものではなく、4脱税請負を常習としていたものでもない。5犯行の動機は特に悪質とは言えない。というのである。

そこで所論に対応してふえんするに、

1  本件ほ脱額は、一億三八一八万円余り、ほ脱率も五八・八パーセントにのぼるものである。

2  本件脱税工作は、相続税法一三条の規定を悪用し、架空の連帯保証債務を計上したものであるところ、本件の脱税手段・方法を決定し推進したのは被告人であって、右清野が被相続人の連帯保証債務のうち三億四〇〇〇万円を負担・弁済したように仮装して相続税を過少にしようと企て、知人の佐藤庄司らに依頼して貸主・借主となるべき会社を捜し出したうえ、架空の金銭消費貸借契約証書、連帯保証人が代位弁済した旨の証明書、求償権の行使不能確認書等を準備して右清野に必要事項を記入させ、関係書類を完成させて相続税の申告書とともに所轄立川税務署に提出した。なるほど、架空債務の計上という脱税手段やそのための関係書類の作品については、被告人が考え出したものではなく、被告人が脱税の請負いをはじめ、税務署に出入りするうちに聞き知ったものであるが、原判決の説示するところは、広く一般社会において被告人がはじめて右脱税手段や関係書類を整えることを考案したとするものではなく、右清野等本件脱税関係者間において、本件でとるべき具体的脱税手段・内容等を決定し、関係書類の準備を推進したのは被告人であるとするものであって、所論の非難はあたらない。また、今回使用した関係書類のうち、被相続人を債務者とする連帯保証債務契約に関する部分は偽造にあたり、その余については名義人の了解の下にその印鑑を借用して作成したにしても、その内容は虚偽のものであり、被告人らはこれら書類を作成名義・内容とも真正なものとして作成し税務署に提出したのであって、本件犯行は計画的で相当周到に準備された巧妙なものといわざるを得ない。また、被告人は、税務署に赴いた際、自己の所属する同和団体の機関紙を持参したり、担当者に同和の団体名・肩書の入った名刺を渡すなどして、同和団体の勢威を背景にして申告し、自己に有利にことを運ぼうとしたことが認められ、税務署側の窓口や対応の仕方をうんぬんする前に、被告人のとった行動・態度自体に非難さるべき点が多いといわざるを得ない。以上によれば、被告人の実行した本件犯行が大胆かつ巧妙なものであって、その態様が悪質であるとした原判決の説示が事実にそぐわないものとはいえない。

3  被告人は、本件以前から同和団体の幹部と称して脱税工作を請負い報酬を得るとともに、かねて交通事故の示談交渉の依頼を受けていた粕谷豊らに対して、「税金問題で困っている人がいたら相談に乗りますよ」と申し向けて客の紹介方を依頼していたこと、清野が右粕谷に相続税の納税資金の捻出に苦慮している旨話したところ、同人から相続税を安くする手続を行う者として被告人を紹介され、これが契機となって納税義務者である右清野から被告人に脱税工作が依頼されたものであること、被告人は右依頼に応じ、同人に対し架空の保証債務を計上して相続税を過少にする方法をとることを説明するとともに、報酬としてほ脱税額の五五パーセントを要求し、これが合意のもとに本件犯行を実行するに至ったこと、被告人は知人の加藤和男、佐藤庄司らに依頼して必要書類の作成準備をし、また右清野に対して種々の指示をして右書類を完成させたうえ所轄の立川税務署に赴き本件相続税の申告をしたことが認められ、本件犯行の過程からみて、本件犯行は被告人が主導的に実行したものというべきであり、原判決のこの点に関する認定は相当であり、所論の非難はあたらない。

4  被告人は、昭和五四年ころ同和対策新風会と称する団体に出入りするようになり、同五五年ころには同会埼玉連合会を組織して自ら会長に就任し、同六〇年春ころから全国新同和連合会埼玉県連合会会長を名乗って活動し、その間同和団体の構成員らから手ほどきを受けて脱税の請負いをはじめるようになり、本件犯行のほかにも同様の脱税工作二件を行い報酬を受け取っていたほか、金融機関からの融資あっせん、交通事故の示談交渉などをも請負って報酬を得ることを繰り返して来たもので、被告人が「納税者の納税申告等に介入してこれを請負うことなどを業とし、その一環として本件に及んだものである」「本件犯行は、他人の納税申告に介入すること等を業としていた被告人の脱税関与の一環として敢行されたことが窺える」と判示した原判決が事実にそぐわないものとはいえない。

5  本件犯行の動機は、租税の負担を可能な限り軽減したいという納税義務者の心理に付け込んで高額の報酬を得ることを目的に本件犯行に及んだものであり、当初ほ脱税額を一億七七〇九万三〇〇円とすることを予定し、その五五パーセントにあたる九七三九万九〇〇〇円を報酬とすることに合意し、その後右清野が農地等についての相続税の納税猶予(租税特別措置法七〇条の六)の適用を申請するなどしてほ脱税額を一億三八一八万一四〇〇円に減ずることにしたものの、報酬額はそのままとしたため被告人の得た報酬額はほ脱税額の実に七〇パーセント強にもあたり、そのうち一一〇〇万円を佐藤庄司ら関係者四名に支払い残余の八六三九万九〇〇〇円(ほ脱税額に対し、約六二・五パーセント)を自己のものとしているのであって、被告人が右清野から報酬を得たいとの弱味を利用されて同人に使われたとする所論は採り得ず、清野には被告人の報酬稼ぎに利用された面があるとの原判決の説示が失当であるとはいえない。

以上認定のほ脱額・ほ脱率・犯行手段・態様、被告人の本件犯行において占めた地位・役割・主導性、ことに本件が報酬を得ることを目的に他人の脱税を請負ったもので、獲得した報酬額が多額で、ほ脱税額のうち被告人の利得額は納税義務者の清野の利得額より高額であることを総合すると、被告人の刑責には重いものがある。

そうすると、被告人が本件犯行後右清野に対し、同人から受領した報酬額を上回る九九五〇万円を返還していること、本件を深く反省悔悟し、所属していた同和団体から脱退し、今後はこの種団体と一切関係しないことを誓っていること、被告人が今後は空手の指導を通して青少年の育成に寄与したいと念願していること、被告人にはこれまでに前科前歴がないこと、原判決後被告人が日本法律扶助協会に一五〇万円の贖罪寄附をしたこと、結婚した女性がいることなどの家庭の事情、その他所論が指摘する本件関係者との処遇の均衡、本件捜査の経過並びに記録から窺われる被告人のため酌むべき情状を最大限考慮しても、被告人を懲役八月に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 朝岡智幸 裁判官 小田健司)

○控訴趣意書

昭和六二(う)第一一六七号

被告人 横溝玄象こと

横溝富男

右の者に対する相続税法違反被告事件について、昭和六二年八月五日東京地方裁判所刑事第二五部が言い渡した判決に対し、弁護人から申し立てた控訴の理由は左記のとおりである。

昭和六二年一〇月二三日

右被告人弁護人

弁護士 上林博

東京高等裁判所第一刑事部 御中

原判決は、罪となるべき事実として控訴事実と同旨の事実を認定したうえ、「被告人を懲役八月に処する。」旨の実刑判決を言い渡した。

しかしながら、右判決の量刑は、以下述べるとおり本件の犯情等に照らして重きに失し不当であるから、破棄されるべきものと思料する。

第一 本件犯情について

1 本件はほ脱額が一億三八一万円余と高額であり、ほ脱率も約五八・八パーセントと高率であることは原判決指摘のとおりである。量刑にあたってこの点が考慮されるべきことに異論はないが、あくまで量刑の一事情にすぎないものであるうえ、右ほ脱額、ほ脱率は年々大型化する脱税事犯の中にあって、さほど悪質なものとは言えない。しかしながら、原判決は、この点を過大評価し、不当に重視した結果、実刑判決という誤った判断をするに至ったものと思料する。

2 本件犯行の手口は初歩的・単純であり、また、被告人が考案したものではない。

即ち、本件は、課税価格を減額するために架空の連帯保証債務を計上し、それを裏付けるものとして虚偽の金銭消費貸借契約証書、連帯保証人が代位弁済した旨の証明書、求償権の行使不能確認書を作成、使用したものであるが、右手口は相続税の脱税においてはごくありふれた単純なものであり、右書類も最低限必要てものであって、徴税当局が基本的な調査を行えば容易に架空であることを看破できる内容であった。

そしてこのような架空の連帯債務の計上という手段は、本件以前からよく行われていたものであって、被告人も他の者から教えてもらって実行したものであり、何も被告人自身が考案したものではない。右関係書類を整えることについても、被告人が考え出したことではなく、実は、昭和五九年夏塚本米蔵の相続税の件で所轄の足立税務署に相談に行き、係官から教わり、そのとき貰ったヒナ型を参考にしたのである(右ヒナ型用紙は控訴審において提出予定 疎一の一~一の三)。しかも、今回使用した関係書類は、名義人の了解の下にその印鑑を借用して作成したものであって、偽造したものではない。

この点に関し原判決は、被告人が右のような「脱税手段を考案」したと認定し、本件犯行の手口が「大胆かつ巧妙なもの」と判旨しているが、到底納得できるものではない。

なお、原判決は、本件が同和団体の勢威を背景に申告した点も犯行の悪質性の事情として判断しているが、これは皮相な見方と言わざるを得ない。即ち、原審における被告人らの供述で明らかなように、本件当時所轄税務署で被告人らを応対したのは資産税課ではなく、同和関係者の窓口としていた総務課であって、このことからも税務署は同和関係者の申告案件については別扱いとし、語弊があろうが緩やかな扱いをしていたのが実情であった。被告人も当時の風潮から税務署の処理にある種の「甘え」があり、「同和」の肩書を利用したことは事実であるものの申告にあたって威圧的な言動は全くしていない。被告人の責任を転嫁するものでは毫もないが、税務当局の対応にも少なからず問題があったことは広く知られているところであろう。

3 被告人は本件犯行を主導的に実行したものではない。

即ち、被告人は、納税義務者でる共犯者清野から依頼されてこれに応じ本件を実行するに至ったものであり、被告人が脱税の方法を説明した後も脱税金額は右清野の要望に添って決めたこと、右清野を紹介した粕谷から架空保証債務の求償権を行使しないための書類を用意するよう指示され、あるいは右清野から農業相続にして一層税額を少なくするよう強く求められこれに応じたことなどから認められるように、本件犯行を主導したのは右清野らであって被告人ではない。

ところで、この点について原判決は被告人が犯行を主導的に実行したものであり、右清野は「被告人横溝に比較して従的立場にあり、同被告人の手数料稼ぎに利用されたとの面も存する」と認定している。本件犯行の経緯からすれば、被告人こそ自らは手を汚すことなく相続税を軽減しようとする右清野から報酬を得たいとの弱味を利用されて使われたものであって、原判決の認定は失当と言わざるを得ない。

4 被告人は脱税請負を常習としていたものではない。

原判決は、被告人が「納税者の納税申告等に介入してこれを請負うことなどを業とし、その一環として本件に及んだものである」「本件犯行は、他人の納税申告に介入すること等を業としていた被告人横溝の脱税関与の一環として敢行されたことが窺える」旨判示しているが、原審で取調べられた証拠で明らかなように、被告人は昭和五五年ころ同和団体に関係するようになって以来主として中小企業の融資相談に関与して収入を得ていたものであって、本件のような納税申告に関与したのは、本件を含めて三件にすぎず、これが「業として」と言えるとしても、その程度は弱く、脱税請負を常習としていたものとは認められない。

5 犯行の動機は特に悪質とは言えない。

すなわち、被告人の動機は当然のことながら金銭を得たいということにあったが、その理由は、遊興、飲食その他不当な支出にあてようというものではなく、被告人がかねて夢見ていた空手の塾の設立費用にあてようとしたものであって(実際に報酬として得た金員は費消していない)、特に悪質なものではなかった。

第二 犯行後の事情について

1 犯行による利得を全額返還した。

被告人は本件脱税請負の報酬として前記清野から九七三九万九〇〇〇円を得たのであるが、そのうちから仲介者粕谷豊へ謝礼として三〇〇万円、架空債務の計上に協力した佐藤庄司らに八〇〇万円をそれぞれ支払っており、手元に残ったのは八六三九万九〇〇〇円(なお右三〇〇万円は粕谷より後日返還を受けた)であった。ところが、被告人は自己の行為を深く反省し、犯行後清野は右報酬額を上まわる合計九九五〇万円を返還した。従って被告人には利得は全くないばかりか、多額の金員を出損した。

しかも被告人は、起訴の対象となっていない別件の同種事犯、あるいは、いわゆる同和活動によって得た報酬についても、この際同和活動から完全に縁を切る決意の下にすべて返還している。すなわち、脱税請負の吉田倉明の件では報酬二五〇〇万円について、そのうち仲介者へ八〇〇万円支払っているのにもかかわらず二五〇〇万円全額を、同じく前記塚本米蔵の件では、報酬一〇〇〇万円について、全額を返還済みであり、交通事故示談交渉に関する粕谷豊の件でも報酬二二七〇万円全額を返還済みである。

このように被告人は、本件不正行為による利得を全部はき出したばかりかそれを上まわる多額の出損をしており、本件摘発により十分な経済的制裁を受けているのである。

2 犯行の背景となった同和団体と縁を切った。

被告は、前述のとおり昭和五五年ころからいわゆるエセ同和団体に所属して「会長」を名乗っていたものの右肩書から連想されるような大物ではなく、実力も有していなかったのであるが、今回の摘発で右団体の性格、自己の非を自覚し、右団体から脱退して完全に縁を切った。そして今度右団体あるいはエセ同和団体と一切関係しないことを誓っている。この点からも被告人が今後同種事犯を敢行するおそれはないと断言できる。

3 反省の情顕著である。

被告人が、本件を深く反省していることは、右1、2の事実からも認められるが、それだけでなく、本件摘発後、被告人は査察当局に自ら進んで前記同種行為を打明け、その名を詳細に供述していることからも窺えるところである。また、被告人が正直な性格であることは本件について自らの資産状況等ありのまま供述していることからも認められるところであるが、自己の行為、生き方を真剣に反省したからこそ、いわば余罪まで正直に打明けたのである。前に同種行為を被告人に不利な事情として考慮するのであれば『正直者がバカを見る』ことになろう。

なお、被告人としては、さらに具体的行動で反省の意を表わすべく社会への謝罪の気持をこめて、本件判決後多額の金員を日本法律扶助協会に贖罪寄付をした(控訴審において立証する疎二)が、この点も本件量刑にあたって是非斟酌賜りたい。

4 再犯のおそれは皆無である。

被告人は、今回の事件を機会にこれまで長年打ち込んできた極真流空手の道に精進する決意を固め、師である巨匠大山倍達の監督の下に極真会館に職員として勤務しながら同人を補佐して空手の発展と青少年の育成に寄与したいと念願している。

さらに被告人は、本件摘発が原因で妻と離婚するに至ったが、今後の人生をやり直すべく交際のあった女性と本件判決後結婚し、同女も被告人と苦楽を共にして更生のため努力する旨誓っている(この点は控訴審において立証する。疎三)。

このような今後の生き方や、被告人の性格に鑑みれば、被告人が同種事犯はもとより、不正行為を犯すおそれは全く無いと確信する。

5 なお共犯者清野において本件犯行後修正申告の上本税のみならず付帯する税も完納されて、いわば被害回復されていることも被告人の量刑に当って考慮されるべきは勿論である。

第三 その他情状について

1 本件関係者の処分との均衡上、被告人に実刑を科すことは著しく不当である。

本件犯行は、被告人と相被告人清野が中心となって犯行されたものであるが、これに関与したのは、右両名だけでなく、前記粕谷、佐藤それに架空債務の当事者となった高津洋二、鈴木友重あるいは本件申告書の作成に関与した加藤和男らがいる。これらの者は、単に犯行の一部に関与したというだけにとどまらず、それが脱税のためになされることを承知して本件犯行に不可欠な役割を分担していたものであって、法的にも本件犯行の共犯者であることは明らかである。しかるに、被疑者として立件されたのは被告人ら両名のみであって、右粕谷らは、被疑者としての扱いを受けていない。その役割に応じて処分に軽重があるのは当然であるが、いくら捜査に協力を得る必要があったとしても被疑者としての扱いもしないのは片手落ちと言わざるを得ない。

それはともかくとしても、被告人の処分を決するにあたっては、これら関係者とのバランスが十分考慮されるべきであろう。

これらの関係者が何ら刑責を問われていないのであるから、被告人のみを実刑に科することは著しく不公平であり、酷である。

原判決がこの点について全く言及していないのは遺憾である。

2 本件捜査の経過について

本件は当初から在宅事件として処理されたのであるが、昭和六〇年九月に事件が発覚した後、同六二年二月に起訴されるまで長時間経過し、その間一年余り捜査当局から連絡もなく、被告人は日々自己の前途がどうなるか思い悩む一方、寛大な処分になるのではないかという期待も抱き不安定な状態に置かれてきた。このように被告人は精神的にも十分な制裁を受けてきたのである。今更実刑を科すことは酷にすぎる。

3 被告人には前科前歴がない。

被告人は、これまで警察やその他捜査機関のお世話になったことはない。刑事事件に関係したのは今回が初めてである。今回の捜査・公判を通して、違法行為に対する国家の対応がいかに厳しいものか身を持って痛感しているところであり、今後二度とかかる思いはしたくないという気持で一杯である。

第四 量刑について

1 昨今脱税事犯については厳しい判決が下され、特に脱税上請負事犯については実刑を持って臨むケースが多いことは世間に浸透しつつあり、一般予防の効果が十分上っているといえようが、一口に脱税事犯と言ってもその内容は様々であって、単に脱税額や態様のみで量刑を判断すべきではなく、被告人の個別の事情が十分に考慮されるべきである。

本件においては、被告人には前記のような種々の有利な事情が認められるのである。

そもそも脱税犯が自然犯と評価し得るとしても、殺人、傷害等の身体犯や、積極的に他人の財産に害を与える詐偽、横領、窃盗等の財産犯とは自ら性質を異にすること言うまでもない。右のような凶悪犯に対してすら執行を猶予する場合があるだけでなく、財産犯では被害回復がなされれば多くの場合執行猶予になるのに、本件のような前科前歴もない脱税事犯に対して実刑を科することはあまりにも一般予防を偏重していると言わざるを得ない。

2 判決の結果は被告人の一生を左右するものであるが、本件の場合これまで述べた事情からすれば実刑をもって臨むことは過酷にすぎる。被告人に対しては、社会内で更生することが十分に期待できるし、執行猶予つきの刑であっても十分一般予防の目的を達せられるのであるから、刑の執行を猶予するのが相当である。

しかるに、原判決は刑の執行を猶予すべき合理的事由が存するのにこれを看過し、懲役八月の実刑という重刑を言い渡したものであって、到底承服できない。

以上の理由により、原判決はその量刑重きに失し不当であるから、原判決を破棄の上さらに適正な裁判を求めるため、本件控訴に及んだ次第である。

以上

<省略>

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